断捨離って言うほど偉いことか?

 私の趣味は買い物だ。本、服、靴、釣り道具、あとアメコミのフィギュアなんかも好き。そういうわけで、部屋は物で溢れかえっている。散らかってるなーと思って掃除するんだけれど、あんまり意味がない。単純に物が多いんですよ。収納場所がない。

 

 断捨離という言葉が流行し、もはや当たり前のように使われるようになって暫く経過した。部屋の物が多いんだよねって話をしたら、これまで何度か友人・知人から「断捨離したらいいよ」と言われたことがある。そこで「いや、捨てる気はないから」と返事すると、彼(彼女)らは、決まって「いや、そんな使ってない、必要ないものって結構多くてさ、そういうのは捨てたほうがいい」とか、いかに断捨離が素晴らしいものか語ってくるのだ。うぜえ。

 

 私には「使ってないもの=必要ないもの」という感覚があまりない。買った服やスニーカーの中には着用しないものもあるが、そういうものはディスプレイしている。見ているだけで幸せなのだ。服もタンスやクローゼットは使わず、店舗のラックのようなものに畳んで収納してあって、それを見るだけでニヤニヤしてしまう。デニムはたまーに引っ張り出してきてじっくり眺める。いい色やなーって。ニットなんかは手触りも楽しんで、また棚にしまう。それから、本もそう。あまり読まないかもしれないけど少し興味あるなーって本も、amazonの古本なんかに出てると購入ボタンをクリックして、結局ほとんど読まないことも少なくない。でも、それらも本棚並べられている背表紙を見ると幸せな気持ちになる。手に入れている、手元にあるだけで、満たされるのだ。

 

 まあ、そんなことを断捨離派に伝えると、今度は「それじゃあ幸せになれないよ」と笑いながら語ってくるのだ。うぜえ。よく海外ドラマで肩をすくめて呆れた表情する人、あんな感じの態度でね。「あーhitaさん、心が満たされてないんですよ、それ。だから買い物で補おうとして、でもどんどん欲しくなるでしょ?だから、もう執着捨てましょうよ」だってさ。どうやら私の心は空虚らしいです。うぜえ。

 

 断捨離やらミニマリストやら、ネットで調べてみると、いかにシンプルライフは素晴らしくて物が多い人間は執着をやめられず愚かで程度が低いか、みたいなニュアンスの記事が多く、ああ、私はダメ人間なんだ、と心が苦しくなってくる。部屋が手狭なことなど、どうでもよくなってくる。

 そんな中、素敵なブログを見つけた。単純に「執着=いけないこと」ではないこと、苦しみの原因は執着だが良し悪しはまた別の話ということ、すごく納得がいった。

 結局、本人が苦しんでいるかどうか、がポイントなのだろうと思う。適応的基準ってやつ。なのにそこを「私は○○をして気持ちいいから、あなたも○○するべき!」みたいに強要してくる輩がいるのが許せないんです。私が困っているのは、部屋が狭いことであって、ものに囲まれて苦しいことではないのだ。世の中すべての人間が同じものに喜びを感じるとおもったら大きな間違いだ。もう少し多様な価値観を認めてほしいものですね。

 

 この感じは「海外旅行至上主義」人間にも通じるところがある。私は海外旅行が嫌い(ビビリなのと、遠隔地に行くとすぐに体調を崩すから)なのだが、海外好きは「海外行くと多様な価値観に触れて人生観変わる」とか言ってめっちゃすすめてくる輩に対しては「でも、そんなすごい経験しても、海外好きじゃない人間の価値観は理解できないんやね」と返している。大抵、嫌われる。

 

 話を戻すが、私が一番言いたいのは、とにかく自分のやったことをやらない・興味ない人間のことを悪く言うなってことである。そもそも、私だったら、本当に良かったものは人には教えませんね、自分だけがいい思いをしていたい人間なので。

 

 だから、断捨離派の皆さんもどうぞ一人で楽しんでください、私は皆さんの知らない世界で一人でどっぷり幸せになりますから。