はじまりとおわり
今週のお題「雨の日の楽しみ方」
雨の日に特別何かをするということはないのだけれど、休みの日が雨予報だと、前日の夜に大量の食糧を買い込み、次の日は朝から引きこもって海外ドラマを見るのがわが家の定番の過ごし方だ。でも、実は当日よりも前の日の買い出しの方が楽しみだったりする。気になるお菓子をカゴに入れた瞬間がピークで、実際翌日食べないなんてこともある。旅行とかも、前日の昼あたりから楽しくなってきて、出発してからは緩やかに下降してる。イベントそのものよりも、イベントを楽しみにしている時の方が楽しい。この現象に名前をつけたい。
でも、雨の日の楽しみ方は、もう一つある。それは、雨が上がった瞬間を楽しむことだ。金曜の夜から降り出して、土曜の14時くらいに雨が上がってすぐに晴れてくるなんてシチュエーションが最高だ。「おおー晴れた晴れた、まだ土曜だし14時だし、何しよかな」と、ベランダで煙草を吸いながら考えるのが、楽しくて仕方がない。
そういうわけで、雨の日はその前後の喜びを噛みしめるのが、私の楽しみ方です。
人脈づくりは苦手です
私も研究者の端くれなので、いくつかの学会や研究会に所属し、定期的に集まりなどに参加をしている。そこで主に行われることは、各々の研究の発表とディスカッションだ。とても有意義で、大学で仕事している時の何倍も楽しい時間を過ごせる。昼間、学会のプログラムが終了すると、たいていは懇親会が準備されている。小さな研究会でも、終わったあとに飲み会みたいなのをやることは少なくない。
正直、私はこの夜の集まりが苦痛だ。どうも酒の席というのは得意ではないのです。いくつかその理由を挙げてみようと思う。
【1.酒関係の問題】
私は酔うのが苦手だ。酒の味は好きだが、すぐ頭痛がするので、グラス一杯をちびちび飲むのが好きなのだ。あまり酔いたくない、酔って「気持ちがいい」と感じたことは一度もないんですよ。んで、自分のペースで飲んでると「先生、飲んでね」とビールを注がれる。目上の先生とかだと断れない。仕方なく飲む(上手に断れるように練習中です)。
また、酔っ払いも苦手だ。特に二次会。声がでかくなり、ハメを外していろいろ言ってしまう人がいるが、アレの対応が本当に苦手。仕舞いには、あまり酔ってない私に「もっと酔え」みたいなニュアンスで絡んでくる人もいる(大きな学会ではあまりないかな、小さい研究会とかで起こる出来事です)。「いいじゃないか、酒が入って本音で話せるのって大切なことだ」と言われることもあるが、素面で冷静に話し合えるほうがはるかに有益だと思う。
【2.つながり最優先マンの問題】
院生時代の話。後輩に、やたらと人脈アピールをする奴がいた。私が「○○大の☓☓先生が△△関係の研究やってるよね」と言うと、「あー、☓☓先生この間懇親会で会ったけどすごい良い先生で。メールで質問したらすぐに返事くれて」と返ってくる。「いや、てめーのことを聞いてるわけじゃねーから」と内心イラッとしていた。SNS見てても、学会に参加して誰々と一緒です〜みたいな投稿ばっかり。何を学んだのかはシェアしない(できないのではなく、してないだけ、と思いたい)。
この「つながり最優先マン(ウーマン)」が懇親会ではその実力を発揮する。謙りながら相手をヨイショしまくる。そら、接待なんだから多少はそういうのも必要だと思うよ。私も一切してないかというと嘘になる。でも、つながり作りが目的になって、本質的な部分(研究の話など)をじっくりやれていない会話は、本当に時間の無駄だと思う。ある研究会で私より少しだけキャリアの長い先生が「私の趣味は研究会。理由は人脈づくり」とキッパリ言ったのを見て、(それ、誇って言うことじゃないよね)と苦笑してしまった。
テーブルに“つながり派”が多いと、会話の進行がこいつの独壇場になる。「私は○○先生に興味津々やねん」と言わんばかりに質問攻め。もっと、じっくりディスカッションをしたいのに…
そしてさらに厄介なのは、この“つながり派”は、何かと私に忠告をしてくる。「顔売っといたほうがいいよ」みたいな。意味がわからんとこで話を振ってくることも。私の一番嫌いなやつです。なんで自分の正義を押し付けるかね? 指導教員や兄弟子ならのアドバイスならわかるけどさ。
以上、理由を挙げてみたけど、結局「コミュ力のない奴がコミュ力のある奴を妬んでるだけ」みたいに思えてきた。まあ間違いではないんだけど。営業職とかやってる友人に聞いたら、接待ばっかりとかいう奴もいました。まだ恵まれてるのかも。
断捨離って言うほど偉いことか?
私の趣味は買い物だ。本、服、靴、釣り道具、あとアメコミのフィギュアなんかも好き。そういうわけで、部屋は物で溢れかえっている。散らかってるなーと思って掃除するんだけれど、あんまり意味がない。単純に物が多いんですよ。収納場所がない。
断捨離という言葉が流行し、もはや当たり前のように使われるようになって暫く経過した。部屋の物が多いんだよねって話をしたら、これまで何度か友人・知人から「断捨離したらいいよ」と言われたことがある。そこで「いや、捨てる気はないから」と返事すると、彼(彼女)らは、決まって「いや、そんな使ってない、必要ないものって結構多くてさ、そういうのは捨てたほうがいい」とか、いかに断捨離が素晴らしいものか語ってくるのだ。うぜえ。
私には「使ってないもの=必要ないもの」という感覚があまりない。買った服やスニーカーの中には着用しないものもあるが、そういうものはディスプレイしている。見ているだけで幸せなのだ。服もタンスやクローゼットは使わず、店舗のラックのようなものに畳んで収納してあって、それを見るだけでニヤニヤしてしまう。デニムはたまーに引っ張り出してきてじっくり眺める。いい色やなーって。ニットなんかは手触りも楽しんで、また棚にしまう。それから、本もそう。あまり読まないかもしれないけど少し興味あるなーって本も、amazonの古本なんかに出てると購入ボタンをクリックして、結局ほとんど読まないことも少なくない。でも、それらも本棚並べられている背表紙を見ると幸せな気持ちになる。手に入れている、手元にあるだけで、満たされるのだ。
まあ、そんなことを断捨離派に伝えると、今度は「それじゃあ幸せになれないよ」と笑いながら語ってくるのだ。うぜえ。よく海外ドラマで肩をすくめて呆れた表情する人、あんな感じの態度でね。「あーhitaさん、心が満たされてないんですよ、それ。だから買い物で補おうとして、でもどんどん欲しくなるでしょ?だから、もう執着捨てましょうよ」だってさ。どうやら私の心は空虚らしいです。うぜえ。
断捨離やらミニマリストやら、ネットで調べてみると、いかにシンプルライフは素晴らしくて物が多い人間は執着をやめられず愚かで程度が低いか、みたいなニュアンスの記事が多く、ああ、私はダメ人間なんだ、と心が苦しくなってくる。部屋が手狭なことなど、どうでもよくなってくる。
そんな中、素敵なブログを見つけた。単純に「執着=いけないこと」ではないこと、苦しみの原因は執着だが良し悪しはまた別の話ということ、すごく納得がいった。
結局、本人が苦しんでいるかどうか、がポイントなのだろうと思う。適応的基準ってやつ。なのにそこを「私は○○をして気持ちいいから、あなたも○○するべき!」みたいに強要してくる輩がいるのが許せないんです。私が困っているのは、部屋が狭いことであって、ものに囲まれて苦しいことではないのだ。世の中すべての人間が同じものに喜びを感じるとおもったら大きな間違いだ。もう少し多様な価値観を認めてほしいものですね。
この感じは「海外旅行至上主義」人間にも通じるところがある。私は海外旅行が嫌い(ビビリなのと、遠隔地に行くとすぐに体調を崩すから)なのだが、海外好きは「海外行くと多様な価値観に触れて人生観変わる」とか言ってめっちゃすすめてくる輩に対しては「でも、そんなすごい経験しても、海外好きじゃない人間の価値観は理解できないんやね」と返している。大抵、嫌われる。
話を戻すが、私が一番言いたいのは、とにかく自分のやったことをやらない・興味ない人間のことを悪く言うなってことである。そもそも、私だったら、本当に良かったものは人には教えませんね、自分だけがいい思いをしていたい人間なので。
だから、断捨離派の皆さんもどうぞ一人で楽しんでください、私は皆さんの知らない世界で一人でどっぷり幸せになりますから。
萎える「突き出し」
先日、妻と近所の居酒屋に行った。数年前に出来たお店で、前々から気になっていたのだ。料理はもちろん、店内の雰囲気もちょっとモダンでなかなかよかった。
運動と酔い覚ましを兼ねて、少し遠回りして散歩しながら帰る途中、私たちはお店の感想について話し合っていた。
私「全部うまかったけど、まずあのお通しがよかった。ああいうの家で食べたい」
妻「お通し?」
私「うん。お通し」
妻「どういうこと?」
私「いや、だからあのお通しみたいなの、家で作れないかなーって」
妻「いやだからお通しって何(半笑い)」
ここで気付いた。「お通し」が通じないのだった。私は東日本の出身で、彼女は西日本の出身。私たちの間には、こういうことがたまにある。
おそらく「お通し」に該当する単語があるはずだ、西日本に来て数年、飲みに出かけた時のことを思い出して、その言葉を探す。
私「あれ、突き出しだよ、突き出し」
妻「突き出し?で、お通しって何?」
(以下省略)
帰宅して、二人で語源を調べてみた。
https://www.olive-hitomawashi.com/column/2018/08/post-2327.html
なるほど、客の注文とは無関係に突き出されるから「突き出し」なのか、わかりやすい。
しかし、今回いただいたソレは、確かに注文もなく勝手に出されたが、おかわりしたくなるくらい美味しい一品だった。これを「突き出し」なんて呼ぶのは申し訳ない。突き出してくれてありがとうと言いたい。
でも、店の人側も「突き出しでーす」って言いながら出すのも変な話だ。いや、宣言しながら突き出すなよと。そういえばその店のマスターは「あてです」って言ってた気がする。実は「あて」も、こっちに来てよく耳にするようになった。違和感なく覚えたけど。
この「突き出し」「お通し」問題、よく「法的には支払う義務はない」みたいなのを見かけることもある。私個人としては、席料やらサービス料を払うのは当たり前で、そのお礼の品であり、他の料理が届くまでの心遣いだと思っているので、カットするつもりはない。また、煮物やポテトサラダなど、シンプルだがお店の個性が出るメニューが多いのも楽しみのひとつだと思う。
ただ、どうしても許せないお通しがある。それが「キャベツ」だ。これこそ本当に「突き出され感」を抱いてしまう。いや、別に野菜が新鮮だとか、つけるタレにこだわりがあるとかならわかる(例えば、塚田農場とかね)。許せないのが、ごま油とかドレッシングかけただけってやつ。せっかく、お店と客とのファーストコンタクト、もうちょっとこだわりの品を出してくれ、と思ってしまう。贅沢な話かもしれないが、キャベツが出てきた途端、突き返したくなる。あと、キンキンに冷えたクッタクタの切り干し大根もノーサンキューです。知覚過敏にはつらい(じゃあビールも飲むな)。
そういうわけで、これからはキャベツの場合のみ「突き出し」と呼ぶことにしたいと思います。
たまに休むとろくな目にあわない
今週のお題「リラックス」
らしいので書いてみることに。
つい先程、帰宅した。というより、帰宅「できた」という表現のほうが適切だろうか。
今日は授業も会議もないので、入学説明会などで休日出勤した分の代休をようやく消化することに。(研究日を指定して自宅研究している先生方もいらっしゃるのですが、私は自宅だと仕事が捗らない性質でして、基本大学にいることが多い)
オフの日は昼前まで惰眠を貪ることもあるが、今日は天気も良く、近所を散歩してからスーパーのパン屋で焼き立てパンでも買って、自宅でリラックスしようと思った。
仕事に行く妻を見送ったあと、携帯と財布をスウェットのポケットに突っ込み家を出た。「あー、平日休みって幸せだなあ」と喜びを噛み締めながら、時間をかけて近所を散歩してからスーパーへ。「いつも家事を任せっきりで迷惑かけてるし、今日は久々にハンバーグでも作ってやろうか」と思い、夕食の買い物もして家に帰る途中で気付いたのである。鍵がないことに。我が家はオートロックである。
「大丈夫、朝やし出入りも多いやろ」
平静を装い、エントランス前で、他の住人の出入りを待つ。しかし、こんな時に限って誰も通りやしない。右手にスーパーの袋、左手にトイレットペーパーを持ち、エントランス前に立ち尽くす私を、向かいの棟の住人が不思議そうな顔で見てくるので、とりあえず笑顔で会釈をする。
10分ほど経過し、そろそろ次の作戦を考えなくては…と考える。「あ、管理会社に電話しよう。スマホ持って出てよかったわ」と思い電話をするが、時間が早すぎたせいか繋がらない。次に、ポストに投函されていたDMを取り出し、自動ドアの隙間から内側に入れて誤作動を狙うが、全く反応がない。
「あー、詰んだか?コレ」
愛車の横に移動し、花壇に腰掛け、自分の愚かさを心から呪った。管理会社の営業時間まで2時間弱。焼き立てパンを袋から取り出し頬張りながら、今回の原因について冷静に分析をしていた。
第一に、「休みの日に自宅に一人」という特殊なシチュエーションである。休みの日は、大抵は妻が在宅している。これまでも鍵を持たずに外出したことがあったが、この場合はインターホンで妻を呼び出し開錠を頼めば済むわけである。ただ、今日は家に誰もいない、休みなのに。今まで妻に甘えていたんだと猛省した。
第二に、スウェットである。私は自宅の鍵、研究室の鍵、研修棟の鍵、車の鍵をまとめてキークリップに束ねている。仕事でもプライベートでも、これらをパンツのベルトループに引っ掛けて外出する。そのため、家を出るときチャラチャラ音がしないと違和感を感じるので、鍵を忘れることに気づくのだ。しかしスウェットにはベルトループがないし、当然キークリップをつけることもないので、違和感なく家を出てしまった。
「心も服装もリラックスしすぎたのが原因だな」
と仮説を立てたところで、状況は改善しない。よく見ると、自転車置場の屋根から二階の廊下に入れそうだ。もうスパイダーマンになるしかない。警察に通報されたら、不審者ではないと免許証を見せて事情を説明しよう。ちょっと怒られるだけだろう。そもそも駐車場でスウェット姿でパン食ってる時点で既に不審者だろうし、今更どうでもいい。一年も経てば笑い話になる。
覚悟を決め、立ち上がり自転車置場に向かおうとしたとき、エントランスの自動ドアが開いた。その瞬間は突然やってきた。私は早歩きでエントランスに向かい、外出するマダムに「おはようございます」と爽やかに挨拶をして、階段を登り、自宅に入った。
あまりにも、あっさりとした幕切れだった。おそらく、あのマダムが洋服選びでもう少し迷っていたら、「スパイダーマンがいる」と通報されていた可能性がある。危なかった。神様は、私が人の道から外れるのを止めてくださったのだ。
濃いめのコーヒーを淹れ、スウェットを脱ぎ洗濯機に入れ、いつものデニムに履き替え、ヘアセットをした。
やはり適切な緊張感が一番だ。このくらいが、かえって一番いいリラックスが出来そう。
ギャップ必要論
先日、学生と雑談していた時のこと。
「うちの大学って、ここまでやってくれるんやなって思ってびっくりした」
彼女はとある国家試験を受験するのだが、私の奉職する大学では、願書をまとめて請求し、受験希望の学生に配布をすることになっている。
なぜこのようなシステムになっているのか、私も今の職場は長くないので詳しくは知らないが、おそらく「知らなかった」「聞いてなかった」と言う学生へのトラブル対策なのだろう、と推察している。他大学で教員をしている仲間から、最近は保護者が「どうして大学で○○してくれなかったんですか!」と大学に訴えに来るケースも少なくないという。私はまだ実際に出会ったことはないけど。
彼女はこう続けた。
「普通、大切なことって掲示板に書いてあるし、自分で何とかしていくものやと思う。それで困ったとしても、大学生なんて大人なんやから、自己責任だと思います。前の大学はそんな感じで、事務の人もめっちゃドライやったけど、うちの大学は手厚すぎるなと思って」
私は彼女に対して「面倒見の良さを大切にしてるんだろうね」とフォロー(になっていない返答)をしつつ、心の中では「激しく同意!」と思っていた。
学校教育では、ここ10年くらいで「中1ギャップ」という言葉をよく耳にするようになった。私も中学生に上がった途端、今まで遊んでくれていた近所の兄ちゃんが急に「先輩」になり、関係性がガラッと変わった。あと、普通は「テスト勉強」というものをするものなのだ、ということも初めて理解した。とにかく「ギャップ」に戸惑うばかりだった。
高校になれば今度は、同じくらいの学力レベルの生徒が集まるので、ちょっとでも勉強をサボると、びっくりするような学年順位になり、中学まではそれなりに「勉強できるキャラ」で通っていた私も、最初は大きなショックを経験した。
そして大学では「自由とそれに伴う責任」の重さを自覚した。そう、彼女が言っていたように、自分で重要な情報をキャッチするスキルが求められるのである。掲示板だけではなく、先輩・同級生・教員との繋がりの中で、自分にとって必要な情報を積極的に掴んでいかないと、いろいろ損をすることが多いんだなーと(典型的な例が、試験の過去問をゲットできるかとか)。どう過ごしても誰も怒りも注意もしない。もちろん「知らなかった」「聞いてません」では済まされない。
次のステージに上がれば、当然求められる振る舞いも変わると思う。ギャップがあって当たり前。ただ、先述の中1ギャップ問題なんかは、お役所では「いかにギャップをなくすか」みたいな話も出ていたらしく(教育学の研究者の友人談。違ってたらごめんなさい)、それはちょっと違うんじゃないかなーと思ったわけだ。どちらかといえば、「いかにギャップを乗り越える力をつけさせるか?」という発想が大切ではないかと思うのである。乗り越えられたっていうエフィカシーと、次のギャップが来ても落ち着いて対処できるようになるのではないかと。
大学としては、学生サービスという観点でいえば手厚さも大切なのかもしれないが、「大学はこれまでとは違うんだ、私たち大人なんだ」っていう意識を持てるようにしないと、今度は「社会人ギャップ」になっちゃうのではないか。いや、既になってるか?
それなりにギャップを必死で乗り越えてきた私だが、最近は食べたら食べただけ脂肪になる「30代の身体ギャップ」にぶち当たり、どう乗り越えようか、日々悩んでいるのだ。でも、昼食のやよい軒のご飯おかわりはやめられない。あの漬物はうますぎ。
Overcooked体験記

Overcooked 2 - オーバークック2|オンラインコード版
- 出版社/メーカー: Team17
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昨日、妻が面白いゲームを見つけた。
Overcooked2というタイトルで、Youtubeのゲーム実況で見つけたらしい。
「やろう、これ二人でやろうよ!」と言われ、まあ、たまには家で二人でゲームもいいかなってことで購入。
さて、このゲームのルールは至ってシンプル。
注文に合わせて、プレイヤー同士で協力して、野菜や肉を切ったり焼いたりして料理を作り、お客さんに運ぶというゲームです。
ただ、コンロの数が少ないとか、厨房の床が抜けてるとか、なかなか簡単には調理させてもらえない。実況プレイ動画でもそうだが、こうなると協力プレイにもかかわらず殺伐としてきます。
「なんで米炊いてないねん」
「トマト、トマト足りないから持ってきて」
「無理やって、今皿洗ってんねんから」
「肉!肉!アホ、鶏肉ちゃう、豚肉や」
お互い罵声を浴びせあいながらプレイするうちに二人とも慣れてきて、どんどん上達する。すると余裕が出来て、淡々と指示を出し合いながらステージを進めていけるようになるのです。
気づいたら夕食も忘れ3時間近く経過し、ドライアイが悪化して大変なことになりました。結婚前、PS3のエレベーターアクションにハマったときも、明るくなるまで黙々とプレイしていたのを思い出しました。どうも熱中すると周りが見えなくなるのは夫婦とも一緒のようです。妻に至っては翌朝「朝ごはん作ってても、なんか効果音とBGMがずーっと流れてた」と現実との区別が曖昧になっている始末。
仕事が忙しくなってから、ゲームをするエネルギーがなく、あー年取ったんだなと思っていましたが(前作からのファンなので、RDR2も発売日に買いましたが、ちょっと触ってからは完全放置)、あまり頭を使わなくていいゲームだと結構できるもんですね。いろいろなことを考えず、ただひたすら目の前の作業に集中できるのは幸せなことかもね。
休日の前夜はしばらくゲームの時間になりそうです。